左門流について

左門流(さもんりゅう)−―日本舞踊の流派のひとつ。左門左兵衛によって創流。花柳徳兵衛の門下花柳左兵衛は、師の没後は七世中村芝翫に師事し、1980年(昭和55年)に独立し左門流を樹立し家元となった。東京・中京を地盤としている。−― (「日本舞踊辞典」1988年出版)

花柳流家元承認のもと円満独立した左門流は、日本舞踊の近代化、古典芸術による新しい舞踊芸術の創出を追求する初代左門左兵衛によって創流されました。
現在は初代の子である、二代目左門左兵衛がその遺志を引き継ぎ、舞踊芸術追求と舞踊思想の確立のために精力的な活動を行なっています。
創流以来、東京、中京を中心として全国に広がりを見せています。

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二代目左門左兵衛 略歴

日本舞踊家―振付師―創作舞踊、舞踊思想家

初代の遺志・資質を受け継ぎ、舞踊家、振付師、創作舞踊家としての道を進む。立役・女形共に精力的に取り組み、振付曲も多い。
創作舞踊家としては、現代性という観点から、社会的なモチーフを反映したドキュメンタリーとしての要素を持つ舞踊芸術を追求する側面がある。
又、舞踊家になる以前の学術的専攻の影響もあり、現代における舞踊思想(芸術思想)の確立をライフワークとしている。

左門流二代目家元。前名・左門仁。昭和五十一年、左門流初代家元 左門左兵衛の長男として東京都に生まれる。
幼少より父・左門左兵衛に師事。日本舞踊の修行に励む。長唄を杵屋直吉師、長唄三味線を杵屋栄敏郎師、歌舞伎囃子を望月彦十朗(当時・太喜雄)師、能楽囃子を上条芳暉師に学ぶ。
明治学院大学文学部芸術学科卒。平成十四年より左門流家元代行。平成二十三年、左門流・宗家家元 左門左兵衛襲名。

平成十四年 左門流家元代行となり本格的な舞台出演、舞踊指導に当たる。
平成十四年 五月 左門流舞踊公演「連獅子」
平成十四年 九月 東京新聞主催「推薦名流舞踊大会」「連獅子」(国立劇場)
東京新聞主催「東西顔見世舞踊会」「連獅子」(大阪・国立文楽劇場)
平成十四年 十月 朝日カルチャーセンター講師
平成十五年 報知新聞主催「華扇会」「連獅子」(国立劇場)
平成十六年 振付を開始する。
平成十七年 東京新聞「推薦名流舞踊大会」「子宝三番叟」(国立劇場)
平成十八年 中日文化センター講師
平成二十年 六月 主催舞踊会「左門流舞踊研鑽会」を開催。
平成二十年 九月 報知新聞「華扇会」「連獅子」(国立劇場)
東京新聞「推薦名流舞踊大会」「松の名所」(国立劇場)
平成二十一年 主催舞踊会「第二回舞踊研鑽会」開催。
平成二十三年 初代急逝により左門流家元となる。
八王子市の要請により八王子日本舞踊団台湾公演の副団長を務める。
九月「左門流日本舞踊公演」を開催し「左門流宗家家元・左門左兵衛」襲名。
東京新聞主催「推薦名流舞踊大会」「飛翔」(国立劇場)出演。
平成二十四年 第一回「二代目・左門左兵衛りさいたる」(東京渋谷・セルリアンタワー能楽堂)
映像と舞踊表現の融合と、従来の古典様式の破壊を企図する。
平成二十六年 左門左兵衛襲名記念「左門流日本舞踊公演」開催。「藤娘」等、上演。
平成二十九年 初代左門左兵衛七回忌追善「左門流舞踊公演」開催。「鏡獅子」等、上演。
平成三十年 第二回「左門左兵衛りさいたる」国立劇場・小劇場。「藤娘」「老松」上演。
朝鮮舞踊と日本舞踊群舞による創作舞踊「天女と傀儡師(くぐつし)」を発表。
黎和二年 「左門流舞踊公演」開催。古典他、創作舞踊「天女と傀儡師(くぐつし)」再演。

初代左門左兵衛 略歴

日本舞踊家―振付師―創作舞踊家

古典舞踊家としては立役も女形共に第一線で演じる事の出来る舞踊家で、当初、花形であった徳兵衛舞踊団のスター舞踊家として頭角を現した。
創流後は、日本舞踊の近代化に務め、徳兵衛亡き後の舞踊界において「創作舞踊の雄」とされる立場にあった。
多くの舞踊団体で指導的な立場にあったことから、その急逝が惜しまれた。

昭和二十八年(1953年) 舞台俳優を志し、日本舞踊・創作舞踊を故花柳徳兵衛に師事。師、没後は歌舞伎舞踊を七代目中村芝翫に師事。
昭和三十三年(1958年) 中華人民共和国に花柳徳兵衛を団長とする「訪中日本舞踊団」の一員として参加。
約四十日間中国各地で公演、「舞踊こそ世界の共通語」の信念を固めて舞踊家となることを決意する。
昭和三十三年 花柳流家元より花柳左兵衛の名を許される。花柳徳兵衛舞踊団員として舞台を主に、テレビ、映画等で活躍。
昭和五十五年(1980年) 花柳流家元、了解の許に円満独立。日本舞踊「左門流」創流。
昭和五十七年より平成八年まで創作舞踊を中心に「左門左兵衛りさいたる」を国立劇場に於いて隔年開催。「愛と憎しみのとき」「武田信玄」「ソルトロード」等の話題作を発表。
昭和五十九年(1984年) ビクター音楽産業より左門左兵衛著の「JAPANESES DANCE」が英訳出版され、世界各国に紹介される。
昭和六十年(1985年)
~平成八年(1996年)
海外公演として、スペイン各地、中国南京市(二回)、シンガポール各地で文化使節として舞踊公演。
〜(中略)〜
平成八年(1996年) 左門左兵衛振り付けの「ビデオ日本舞踊名作選」全十巻がビクター伝統文化振興財団より全国に発売される。

これ以後も、全国で精力的に舞踊活動を展開していたが、平成二十三年(2011年) 一月六日、多臓器不全により急逝。

舞台出演、創作、公演等を初めとして精力的に活動した。一年のうちに主催公演を何度も開催する事も珍しくはなかった。指導においても、全国を飛び回る多忙さだったが、振付曲は古典、創作を含め生涯で一千曲に上るとされている。


朝日カルチャーセンター講師。名古屋、東京立川。毎日文化センター講師。静岡朝日テレビカルチャーセンター講師。東海学園女子短期大学、元非常勤講師「日本文化史―古代から江戸まで」担当。
日本舞踊左門流家元。八王子日本舞踊連盟会長。八王子文化連盟副理事長。ロータリークラブ会員、東京日野・八王子。



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